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2013年2月

2013.02.28

第20回茨城の山探検(高鈴山と神峰山)の記録(2013.1.13)

この日の朝、御岩神社の駐車場に集合したのは13名、いつも集合時間の30分位前には着いている人が多い。当日は晴天に恵まれて予定していた通りのルートを楽しく歩きました。
写真1:御岩神社です。参拝してから裏参道に入りました。 写真2:御岩山の岩場からの西側の展望。御岩山には裏参道の途中から直登ルートを登りました。 写真3:高鈴山山頂での参加者全員の記念写真。 写真4:高鈴山頂を後にしあかざわ山荘へと向かう。途中から山頂を振り返った風景です。
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諏訪へ降る車道の途中から分岐して「もとやま自然の村キャンプ場」方面へと向かいました。
写真1:助川山方面/あかざわ山荘方面への分岐点。 写真2:「もとやま自然の村キャンプ場」に立てられている「高鈴山ハイキングコース」の標識。 写真3:キャンプ場で昼食休憩しました。 写真4:キャンプ場を通過中の風景。
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あかざわ山荘へ降った後は直登ルートで神峰山へ登りますが、このルートは今ではほとんど歩く人はいません。神峰山へ登った後は、向陽台に出て高鈴山への登山道の途中から御岩神社への分岐に入り、賀毘礼神社を経由、表参道を下り周回ルートを無事歩きました。
写真1:あかざわ山荘へ降る途中から向かい側の神峰山を見る。 写真2:神峰山山頂です。煙に出ている煙突が見えます。 写真3:御岩神社への分岐です。ここから降りました。 写真4:賀毘礼神社です。  (終り)
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2013.02.23

清水洞の上公園(自転車で遊ぶ)(2013.1.12)

清水洞の上公園と言うのが東木倉にある。まだ訪れたことはないが、我が家から5~6km位の所なので丁度自転車で暇つぶしに遊ぶには良い。訪ねてみました。

説明看板などによると、この辺りは「清水洞」と称され、古来より清水がこんこんと湧き出て流れており、江戸時代に清水寺が徳川光圀公によって開基され、歴史的な変遷を経て現在は区で管理され無住寺として残っている。境内清水池の傍に昭和49年那珂町指定天然記念物「清水寺の杉」がある。樹齢推定:500年、根回り:9.47m、樹幹:5.20m、樹高:約30mと大きな杉でした。周りは遊歩道が整備され現在公園となっている。
現在この地域は新那珂八景の一つ「清水寺と五台文教地区」に指定されているとの事。
近くにも知らない色んな歴史的遺産があることを知りました。(終り)
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里山歩き・棚谷周辺(2)【日吉神社・要害山他】(2013.1.10)

棚谷周辺は先日(1/7)に歩いた所だが、今回の目的は
・日吉神社の参道を下から登ること(参道入口の探索)
・地形図の破線の道の探索。要害林道から分岐して雷神山と△「要害」(201.0m)の間の谷間を通る破線路は健在かどうか?
結果ですが2項目は地形図を忘れていったこともあり探索失敗、藪漕ぎをしました。

歩き始めは前回と同じですが、「山入城跡」の標識には入らずそのまま山裾を歩く。参道の入口として目星をつけているのは要害山と日吉神社のある尾根との間にある谷間の辺りで、15分位で目的の谷間の所へ来た。反対側は穏やかな景色で、田圃が広がって向こうに国見山に連なる山並みが見えていました。
谷間へ入る道を進み山に入ると何だか怪しげな踏跡、これは参道とは言えそうもない踏跡ですが兎に角上へ登れば参道に出るだろうと急斜面を標高差30m程登ると道に出た。近くに馬頭観世音などの石碑が祀られているので多分これが参道なのだろう。石仏の風情も中々良い。文化13年(1815年らしい)の文字も見えるので相当古いものである。
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道は杉林の中をトラバース気味に下って農家の裏近くに出て表の通りにつながっていた。ここが参道の入口らしいが何の表示もない。
ここを出発点に参道を登り返して先日歩いた分岐の所に出た。(写真3枚目参照) 少し登ると赤い鳥居が見えて日吉神社に着いた。
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ここからは大体地形も判っているので適当に歩いて要害山へ行く。途中で鳥の巣が落ちているのを見つけた。要害山山頂の丘の上にある石の祠の囲いの傍に「山」と書いた石柱を見つけた。これは△「要害」の所にあったものと同じで境界を示しているのであろう。
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要害林道を進んで破線路のある谷間に降りた。(写真1) さて地形図を見ようと探したが今日は持忘れてきたようだ。地形図がないとちょっと無理かな~、でもこのまま撤退も癪だし、大体の様子は頭に入っているつもりなので兎に角少し進んでみることにした。
畑跡の終端まで道があるが、そこから先は道がなくなっていてよく分からない。あちこち探す気にもならず、ちょっと入った右の山裾に尾根へと登っている踏跡があったので、方向さえ誤らなければ何処かに出るだろうと楽観して稜線に出て植林帯の中を進むと小ピークに出た。ここまでは踏跡があったがここから先は無いようなのでさてどちらへ進もうか?地形図がないのでよく分からないが左の谷間に降ることにした。ちょっと広い谷間に降ったがここも藪で道なし。(写真2参照)  少し先に遡行して相変わらずの藪なので(写真3参照)左の尾根へ逃れることにした。
道なき尾根を汗をかきながら稜線へ出ると道に出た。20m程すぐ先で先日歩いた△「要害」から高野へ抜ける破線の道につながっており(写真4参照)、今日探索しようとした破線の道の最後の部分に登りついたようだ。要するに今日探索予定の破線路のキセル(中抜き)をやったような状況でした。この分岐を上から降ってみるとよく分かるかもしれないと思いました。
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振り返ってみると今日歩いてきた方面がよく見え、阿武隈線141の鉄塔や要害山も確認できました。馬頭観世音に挨拶して高野の舗装道路をテクテク歩く。阿武隈線143の方向へ向かい、途中にある黄色杭の阿武隈線144の方へと降る。
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県道29号に降りた所の正面の家が火事で焼け落ちていた。まだ後片付けがされておらず焼けたばかりのようだった。車道を下って行くと右側に阿武隈線144の黄色杭と「包石」(1.9km、棚谷町会)と書かれた標識を見つけた。「包石」とは何だろう?また探訪する所が出来てしまった。(1月末に探訪しました。後日報告します)
棚谷ふるさと公園に寄って駐車場所へと戻り、今日の山歩きは無事終了しました。(終り)
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2013.02.22

我が家の庭の春(2013.2.20)

今年は梅の花の開花も遅れておりますが、それでも春は確実にやってきているようです。セツブンソウは例年だともっと早く沢山出るのだが、今の所花の咲いたのは一輪だけです。
蝋梅はもう終わりに近くなって散り始めています。フクジュソウは全部で花は20近くありますが、昼間日が差して暖かくならないと花が開きません。このt頃寒くてすっきりと開いてくれません。フキノトウも幾つか出てきていますが、山のフキノトウはまだまだ寒くて3月にならないと見られないでしょうね。(終わり)
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2013.02.20

里山歩き・棚谷周辺(1)【要害山・雷神山】(2013.1.7)

棚谷周辺の里山と三角点巡りの山歩きは、2012/3に一度行った。【里山と三角点巡り・棚谷周辺(2012.3.12)参照】
その時要害山や三角点「要害」(201.0m)は省略してしまった。里山歩きをするのに冬場は時期的にも良いので要害山ルートを歩きに出掛けました。要害山に初めて登ったのは1999.10.2で約13年前になるがその後出掛けていないので様子が変わっているかもしれない。実際整備がされてきれいになっていました。(その時のレポートは「要害山と山入城跡」です。地図も付いていますのでご覧下さい)

山田川橋の左手前の広い路側帯に駐車して歩き始める。目の前に雷神山に続く尾根とその北側に要害山が見える。100m程歩くと「要害林道記念碑」の石碑と市指定文化財の「山入城跡入口(国安城)」と書かれた常陸太田市教育委員会の看板が立っておりここを右折する。道なりに進み要害林道には入らず手前の分岐を右に行くと「至山入城跡」の標識があるので標識に従って舗装された立派な車道を進む。前に来た時は舗装はされていなかったと思う。中腹まで登って行くと旧水府村の展望が広がった。
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道路脇は所々整備されており果樹が植えられていた。舗装道路の終点に又標識がありました。植林の林の中に入り少し登って尾根上に至ると道は二股に分かれ、←山入城跡/日吉神社→の標識と「山入城想定図」の大きな看板が立っていました。この想定図で見るとかなり広い範囲に幾つもの建物があったようだ。平成23年12月吉日とあるので最近整備されたもののようである。
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日吉神社と言うのが谷を挟んで向こう側にあるようで想定図にも書かれており、そちらへ先に行ってみることにした。地形図を見ると神社記号が書かれており多分ここだろう。
右の道に入ると要害山の右山腹を巻いてから、右下から登ってきている沢の源頭を横切り、向かい側の尾根の山腹をトラバースして道は降って行く。神社の入口はこの辺りだろうと思う所まで降ってくると左に尾根上にあがる分岐があった。登って行くと赤い色が見え、近づくと大きな赤い鳥居でした。鳥居から登って行くと立派な石段があり、上に大きな神社の建物があった。日吉神社だ。まず挨拶をしてから周りを見て回った。
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ここからまた山入城跡に戻るのだが、今来た道を戻るのは少し遠くなるので尾根道をたどることにした。踏跡があるような無いような所ですが、植林帯の中なので笹薮もなく適当に歩き易い所を拾いながら最後は元来た沢の源頭部の道へ降りました。近くに昭和58年の昔の地名の杭を見つけました。(久慈郡水府村大字國安字要害:写真1参照)
道の二股へ戻りここから山入城への道を進む。溝が掘られた跡があるが「土橋と竪堀」の看板がありました。そこを登るとベンチが置かれており、更に登って行くと山頂の広場に着く。ここに大きな「山入城跡」の説明看板がありました。(説明が書かれておりますが、写真をクリックして文章を読んで下さい)
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広場の奥に小高い丘があり「本部と櫓台」の看板があり、上に登ると石の祠が祀られていました。ここからの展望が良いのでエネルギー補給を兼ねて暫し休息しました。
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高鈴山の雨量測候所の塔も見えていました。この小高い丘が要害山の最高点(前に来た時191.3mと書かれていた)だが、三角点はここには設置されてなく、先に下った所にある。丘の向こうへ降る方は5m程の崖になった居て巻き気味に慎重に下る。下った先に三角点石があるがここから振り返ってみると確かに山頂はこの小高い丘の上である。(写真2参照) 三角点は四等三角点で点名は「要害」、185.6mである。
この先は植林帯で、踏跡をたどると送電鉄塔「阿武隈線141」に到着。
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ここから向かい側の山の方を見ると帰りに寄る予定の雷神山が見えました。点検路を利用して要害林道へ降るのだが、途中間伐作業で点検路は伐採木で覆われたり、作業道作りで壊されたりした所もあり、黄色杭も位置を写されたのか矢印の方向などがおかしくなっていました。
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要害林道に下った所は前が開けた牧場で、牛が何頭か見えました。そこから暫く進むと看板が立っていました。「犬防国有林分収育成契約分収林」とあり、「分収林区域図」と言うのが書かれています。これから行こうとする所は、図で「201.5」と書かれた所であるのでよく分かる。でも「▽水160」というのは何だろう?
更に進むと左側に大きな谷間が広がって田畑の跡らしい所があった。地形図に昔の破線の道が通っていた所のようだ。ここも何時か歩いてみたいな。
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その先に通行禁止のゲートがあり鎖が張られていて、一般車はここまでしか入れない。林道にはカーブミラーも立てられており荒れてもいない。また分収林の看板があり、現在地が大分進んでいてもう少しで「201.5」への登り道のようだ。やがて「201.5」への登り口と思われるところに着いた。
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入り口は分かるがその先は明瞭は踏み跡もないので適当に上を目指して尾根上に出た。尾根上には踏跡が通っていました。
辺りを眺めてまず目についたのが三角点柱石でした・・・と思ってよく観察すると石も新しいし大きさもちょっと違うし、字も書かれていない・・・もう少し辺りを探索すると本物の三角点柱石を見つけました。四等三角点「要害」 201.0mです。もう一つの三角点様の柱石は推定するに「▽水160」のものではないか?と言うのが私の考えでした。
この後、地形図の破線の道を通って高野へと向かいましたがここからは歩き易い良い道でした。途中から谷間の展望も良く雷神山を眺めながら暫く休憩しました。高野へ降りる峠状の所に馬頭観音像が祀られていました。ここも昔の 生活道路だったようです。
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高野の道路に出てから雷神山へ寄りました。そこからは尾根通しで出羽まで降る予定で送電鉄塔「阿武隈線143」へと行きました。
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ここから先の尾根通しの道は余り歩かれていないので少々藪っぽい所もあるが、間違えそうな所もなく無事に出羽に下り着いた。尾根末端に吉田神社が祀られていました。またすぐ近くに棚谷山宝精院正谷寺跡があり、説明看板と地蔵が祀られていました。里山の周辺は昔の生活の名残などが残っているので、よく気を付けながら歩くと面白いものですね。(終わり)
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2013.02.15

赤沢富士と白山神社(2013.1.5)

赤沢富士へ最初に登ったのは何時なのかと調べてみると、もう15年前の1998年2月11日であった。(「赤沢富士と白山神社」)  

白山神社へはその後出掛けたことがあるが、赤沢富士へはそれ以来行っていない。赤沢富士は何となく藪っぽい印象だけが残っていて行く気が起らなかったのだが、西側の林道を辿れば容易に行けると言うようなことを小耳にはさんだので久し振りに出掛けることにしました。

道の駅「かつら」に駐車して赤沢富士-白山神社と周回することにした。皇都川沿いの道は「関東ふれあい道」にもなっており、車で走ったことがあるがあまり印象に残っていない。今日はゆっくりとあちこち脇見しながら歩く。立て看板があり、この辺りは「御前山県立自然公園」地域となっているらしい。杉林の中の道で展望もなく、皇都川も伏流水になっているのか水が流れていなかった。
暫く歩いて行くと右側に大きな欅の美しい林が現れた。こういう景色は大好きで思わず「いいな~」と一人呟いてしまった。この辺りまで来ると川にも水が流れており、欅の林が水面に映っていて中々良い景色だ。写真1:道の駅「かつら」、写真2:「御前山県立自然公園」の看板、写真3:皇都川沿いの道、写真4:川の水に映るケヤキの林
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何でここに欅の林があるのだろうか?と思いながら歩いて行くと「御前山ケヤキ展示林」の看板があった。やっぱり人工的に植栽されたもので明治17年とあるので約130年前だから立派な木に育っている。
近くにまた別の看板があり、「カタクリ、イチリンソウ群落の再生試験」と書かれている。内容は明治17年当時は林床にカタクリ、イチリンソウなどの群生地だったが、その後その数を減らし見る影もなくなったので、現在再生試験をやっている由、今はどの程度に回復したのか時期に来てみようと思いました。
別の看板の内容を下記します。
           「貴重なカタクリ、イチリンソウの群落」
「カタクリ、アズマイチゲ、キクザキイチゲ、イチリンソウなどの植物は、早春、落葉広葉樹林の展葉前の明るい林床で、可憐な花を咲かせ、林冠の閉鎖と共に、地上部を枯らしてしまう草木植物で、春植物(スプリング・エフェメラル=「春の妖精」)と呼ばれています。こうした植物は。かって関東平野の丘陵部から山地帯にかけて広く分布し、やや湿った場所に時として大群落を作っていました。しかし近年の開発行為や人工林化、さらに心無い採取によって、群落が急速に衰退し、今では、限られた場所でしか見ることが出来ません。このケヤキ林の林床に発達するカタクリ、イチリンソウ群落は、この地域で数少ない貴重な群落の一つです。国有林におけるこうした植物群落の保護と再生の取り組みにご協力ください。       茨城森林管理署、森林管理センター」

ケヤキ林のすぐ先で道路の左側に「しろきたウォーククラブ」の赤沢富士登山口の標識が立っていました。この先の林道分岐からも行けるようですが、こちらから登ることにしました。写真2:「御前山ケヤキ展示林」の看板、写真3:「カタクリ、イチリンソウ群落の再生試験」の看板、写真4:登山口の標識
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植林帯の中、南南東方向の尾根伝いに登山道が続いていました。やがて林道に出て、林道を少し歩くと分岐標識があり、また山頂への登山道へ入る。山頂は三角点(2等、点名:富士山、276.4m)があるが、樹林に囲まれて木の間越しの展望でした。
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山頂の標識を見ると山名板の他に行く先表示として←白山神社/御前山→と書かれており、昔は藪で道がなかった白山神社への道も整備されていた。南側を左に回り込んで降って行くと所々に標識もあり、やがて左側に赤沢富士の山頂が見えました。多少のアップダウンはあるが尾根伝いに進むと小ピークの上に大きなヤマザクラの木の根元に石の祠が祀ってありました。何となく好ましくほっとする光景です。ピークからに下りは方向を間違えないように気を付けますが、大体は標識がありました。写真1,4:標識、写真2:赤沢富士、写真3:石の祠
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やがて白山神社に到着。この神社は大きな神社で参道も広く昔から里人がよく参詣に来た所だと推察される。暫く休憩して参道を下る。参道の途中にも別雷神社や金精様がお祀りしてありました。降り途中から北側の大展望が広がり、遠く男体山や長福山なども見えるナイスビューでした。
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参詣道の鳥居を潜って道の駅「かつら」へと無事に帰還しました。今日の赤沢富士-白山神社の山歩きは「しろきたウォーククラブ」が標識も立てて整備してくれており、3時間程度の山歩きには丁度良いコースと思いました。(終わり)
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